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まよ日が記かく

【復讐の話】自分を否定しない場所を求める人が否定したいモノ

自分達の夢・想いが否定されることなく、自由に語り合える場所を作りたいっていうプロジェクトを支援した時の話です。


実際に寄付などが集まった時に、その活動報告の中で、「自分たちの考えを否定する人々を、結果で黙らせる事が出来た!!」といった旨の文章が掲載されたのを見て、なんとなく最近の多様性を認めるムーブメントの中で僕が感じてた共感性を言葉に出来た気がしました。

簡潔に言うと、自分のやり方を否定しない場所を作りたい(見つけたい)人がブログとかで書いてる目的や動機に対してどこか共感を感じた。そういった明るいスタンスに対して距離をおきそうなタイプの自分なのに、何故共感してしまうのだろう違和感が。

その違和感の正体がやっと言葉にできました。自分を否定しない場所づくりの動機は、「自分を否定した相手を否定したい」のではないかなと。冒頭の体験を経てこれが確信めいたものに変わったという話です。

<一方的に殴られる側からの脱却表現>

一方的に自分がやられっぱなしの世界から脱出して、相手と対等、可能なら賛同者が一定数は保証されるやや不利※な境遇で殴り合える場所に行きたい。(※優勢側だと逆に自分が弱者を虐める側になりかねないから)

せめて、殴り返すだけの理由や賛同がほしい。そういった想いの表現手法が「自分を否定しない場所探し」なのだろうと感じました。

生まれた地方から出れば、それが見つかるかもしれない。知らない地を旅すれば、出会いが多い場所に行けば、手段はさまざまあるけれど、その動機は結構ネガティブなものだとすると捉えることで、僕はようやく腑に落ちました。

そのうえで、誰かを否定するかもしれないから、自分が否定されない環境をつくる(見つける)事はやめとけってことではなく。自分を認めてもらう表現には、言葉でもアクションでも、何かしらの否定が入っているけど、やるからにはお互い否定される覚悟をもったうえでガンガン行こうぜって話です。

<復讐活動のススメ>

多様性を謳うということは、多様性を受け入れない思想を否定してないか?そんな疑問を持っていた自分なりの、納得できる答えがコレでした。

ちなみに、僕は自分を認めさせる場所を得ることで、自分を否定した誰かをぎゃふんと言わせたい想いを簡潔に「復讐活動」って思っています。

そして、復讐活動は確かな動機に後押しされるアクティブな活動だと捉えていて、大いに賛同しています。

まだ試されたことのない実験的な取り組みを応援するまよひが企画だからこそ、復讐活動も大賛同です。大事なのは本当に行動できるかどうか。それを的確に表現できるかどうか?

自分が認められず苦しい想いをした経験を引っ張りながら今を生きてる人たちへ(僕がそうです)。認めたくない考えを無理に飲み込む必要はありません。だからこそ、自由に否定もして大丈夫ですし、否定される覚悟も必要です。否定も自由にできて初めての多様性ではないでしょうか。

良き復讐活動が、多様性社会を生みだす大切なピースであると僕は信じています。

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