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まよ日が記かく

声が大きなLGBTと、自己主張が強いアライが苦手だけれど

ラジオの収録を終えたあと、参加者で懇親会をしてる最中に、多様性のある社会、特にLGBTの話になった。過去に企画で取り上げようとして、放送局の意思ではないとこでストップがかかった話だった。

LGBTとは

性の少数派の総称で。レズ、ゲイ、バイ、トランスジェンダーの頭文字を取ったもの。男性は女性に、女性は男性を好むといった、多数派の性の在り方には収まらない存在をさす。

アライとは

LGBTの当事者ではないけれど、性の多様性に理解をしめす人々のこと。

その話がでたとき、話の本筋とはまったく脱線してしまうのだけど、僕自身は「声が大きなLGBTと、自己主張が強いアライが苦手なので、あんまり報道で取り上げ過ぎないのも大事じゃないか?」という話をした。

というのも、僕は大学院時代は女性の格好をして学校に通っていたし、男性と住んでいたことも、必要以上に貢いだ事もあり、かたや女性との付き合いもあったので区分的にはLGBTの中に割り当てられる。よって、何かとLGBTのことで意見を求められる機会に恵まれていた。

↑頻繁に女装してた頃の僕

でも、特に理解を周りに求めようとか思った事がなかった。正直なところ理解されたとしても、居心地が良くなる気なんてしなかったし、なんかのキッカケで自分の好みなんて180度変わるかもしれない。言葉で規定される事の方がよっぽど不自由だと感じていたからだ。

なので、そういったインタビューや質問には、存在がいるかもと思いつつも、そっとしておいて、むやみな認定や保護は避けてもいいんじゃない?といった事をこれまでも主張してきた。

声が大きなLGBTと、自己主張が強いアライが苦手

ゆえに僕は、声高らかにLGBTの存在を認めて欲しいといった主張やセンセーショナルなパフォーマンスをする人が苦手だ。

嫌いなのではない、苦手なのだ。

テレビやラジオから多様性の社会をLGBTの認知を発信する事が、一番の居心地の悪さにつながるからだ。

森で静かに生きていこうとしたら、傷付いた動物として保護されて動物園でみんなに見せものにされた気分になる。

また、LGBTの当事者ではないけれど理解を示してくれるアライ有難い存在だ。しかし、私はアライですと、公言したりSNSで発信するのは、そこまで目立たせる必要はないのではと思っている。理解ある自分を主張するよりは、日々は忍びのやうに隠してすごし、いざという時には介入がバレないよう立ち回ってくれてほうが、何かと現場にフィットした役立ち方ができると思う。

誤解がないよう言っておくと、僕の友人には主張するLGBTも、公言するアライもいる。でも、その人たちは、その主張のみが違うだけで、他に好きなところがいっぱいある。

じゃあ、性の多様性ってなんだ?

LGBT当事者の中にも、とくにこれといった主張はなく、そっとしておいていいじゃんと思ってる人もいる。LGBTだって1種類の主張な訳ではないという事を知ってもらったうえで、それでも僕は性の多様性は大事にしたいと思っている。

でもそれは、他人にマイノリティーな性の形を定義して認めてもらうことではない。

むしろ、自分の中の性を見つめて、もっと寛容になる事だと思う。

男性が好きでも、明日何かのキッカケで女性が好きになるかもしれない。そもそも、好きになるなんて必要ないって思うかもしれない。別にそのくらいの心変わりは許せる自分でいようって話だ。

他人に認めさせるのが多様性ではなく、認めない相手すらも、そういう多様性なんだと認められる寛容さ。そして、昨日の主張を今日変えたとしてま恥ずことなく自分自身の性を愛せることこそ、本当の意味での性の多様性なのだと僕は考えている。

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