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まよ日が記かく

恐竜は死んではいない、シーラカンスもいつか死ぬかもしれないけれど

ダチョウを見て思うこと

まよひが企画のオフィスから車で5分くらいの所に、オーストリッチ展示場というダチョウ園がある。食用のダチョウが常時30羽以上飼われ、敷地内をうろうろしている無料見学可能な施設だ。柵に囲われているので、人が襲われる心配はなく、その辺に生えている雑草を餌としてあげてもいいことになっている。山形県にはクラゲに特化した水族館があるが、ここはダチョウに特化したふれあい動物園のようだ。

僕はこの場所が好きだ。ダチョウの脚を見るのが好きだからだ。細いががっしりとした脚には、トカゲのような鱗と、大きな爪がある。映画ジュラシックパークのラプトルの脚にそっくりで、かっこいいのだ。

そんなダチョウを見るたび確信するのが、恐竜というは絶滅したのではなく、鳥になって生き延びたという説だ。

一時代を支配した強い種は、環境の変化に合わせて大きさを変え、生活スタイルを変え、こうして生き延びている。(逆に、恐竜のままの形で生き延びようとした種はほぼ滅びてしまっているのだけど)

そういった意味で、強い種は環境の変化に合わせて自らを変えていけるものなのだということがわかる。

シーラカンスという生き方

一方で、シーラカンスのように、決して強いとは言い難いが、変化が少ない場所でひっそりと形を変えずに生き延びてきた種もある。時代の変化を、形を変えずに乗り切ったことは、生命体の完成度で言えばピカイチである。

ただ、シーラカンスは住んでいる環境の変化が少ない場所を選ぶ、場所選びのセンスで生き延びてきているため、逆に言えば環境の変化にめちゃくちゃ弱い種であるともいえる。

環境の変化というものを社会で考えてみれば、中山間地域はまさにシーラカンスがいるような環境が少なかった地域だ。だから人口が密集する地域に比べて、変化をしない人たちの方が住み居心地が良い状態が形成されている。地域おこしという名目で、外部から人が入り地域のこれまでの体制を変えようとすると反発があるのは、シーラカンスが環境の変化を嫌うのと同じで、居心地を脅かす行為だからだ。

しかし、中山間地をとりまく環境は住む人が望まなくても徐々に変わってきている。いつまでもずっと同じ形をとり続けていれば生き延びられる環境とも言いがたくなってきている。

だからこそ、中山間地に暮らす人たちはもっと居心地を重視していいと思う。自分の居心地のためには「変化を拒絶」してもいいし、変化が少ないであろう新天地に移住しても、居心地の良い環境を創りあげてもいい。変化に強い恐竜の生き方を真似しなくてもいいのだ。シーラカンスとして生き延びるには、シーラカンスなりの選択肢と、生存戦略が必要だということだ。

恐竜の生き方からシーラカンスは学べない

正直なところ、結果どちらが長く生き残れるかは誰にもわからないし責任は持てない。シーラカンスと鳥は今も生き延びている。鳥は種類も量もたくさんいて、シーラカンスの数は少ないが、事実どちらもちゃんと残っているからだ。

逆に恐竜のような生き方をしようぜとだけは絶対言えない。鳥になれなかった大半の恐竜は絶滅しているからだ。恐竜っていう大まかなくくりの種が生き延びたわけではなく、鳥として生きる手段に賭けた種が生き延びて繁栄したというだけ話だ。

現在、上手くいってるやり方・生存戦略が、必ずしも自分の生き方に合うわけではない。また、消極的な方針と思われる方向にも無数の選択肢が広がっている。大切なのは多様な選択肢があることを自覚し、意思をもってその「どれを選ぶか」なのである。

そんな恐竜と、シーラカンスを足したよう、大好きな魚、ドラゴンフィッシュ

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